仙人の読書日記

管理人:会社経営者。子育て奮闘中なので、受験や教育、教育思想に関心があります。ルソーの『エミール』の影響が強いです。某最難関国立大卒。最近広尾からベイエリアタワマンに引っ越しました。

本の読み方と思考

多くの人は読書法を間違っていると感じるのですが、「教科書を読むように」読書をするほど馬鹿げたことはありません。

 

勉強と読書の最大の違いは「自分の頭で考える」かどうか。


もちろん中高の教科書なども主体的に読むべきなのですが、基本的には「答えが決まった世界」ですから、さほど頭を使う必要はありません。

また、そもそも中高の勉強は根本的なレベルで疑うことは許されません。

本来、「思考」というのは「何を考えるべきか」、「そもそもそれを問う必要はあるか」というレベルで頭を使うべきですが、中高までの勉強で「それは意味がないから問うべき(学ぶべき)ではない」という判断は許されません。

 

IQテストなども同様です。

 

「現実の学問やビジネスの思考と乖離した頭の瞬発力を問うて意味があるのか?」というレベルの思考もなされてしかるべきですが、多くの人は「与えられた問題を解決する」のが得意な人を「頭がいい」と判断します。

 

もちろん思考にも「段階」がありますから、「枠組内の思考」も意味がないわけではありません。

 

しかし、もっとも価値がある思考というのは「枠組みを疑う思考」です。

 

AI時代に「決められた問題が解ける」ことにさほど意味があるとは思えないからです。

 

つまるところ「誰かが答を出した問題」に時間をかけて取り組む意味はさほどないでしょう。

 

とは言え、「枠内思考」と「枠組みを疑う思考」にももちろん相関があります。

 

日本の小中高の勉強は、たしかに答えがあらかじめ決まっているつまらない勉強ですが、必要条件としてそれらの勉強はもちろん必要です。

 

「答えが決められた世界」の問題で全く問題解決ができない人が、「答えが決められてない世界」で問題解決ができるとは思えないからです。(とは言え、かなり高いレベルになるとこれも当てはまりません。ノーベル賞受賞者で最難関大に届かなかったような人もいますから。)

 

話を読書に戻します。

 

繰り返しますが、「学校のお勉強」と「読書的な思考」の最大の違いは「決められた手法や答」の有無です。

 

読書をするときに大切なのは、陳腐ですが「筆者と対話をする」こと。

 

「筆者に答を教えてもらおう」と考えるほど間違った読書もありません。

 

もちろん「どこまで対等に対話するか」はあなたの予備知識と筆者のレベルによります。

 

明らかにあなたが無知な分野なら「教えてもらう」要素が強いのは当たり前です。

 

しかし、ある程度あなたが考えるだけの知識がある分野であれば、筆者に「教えてもらう」という姿勢は適切ではありません。

 

孔子が言ったように、「子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。」は真理。

 

すなわち、「学んで考えないのもダメだ」

 

しかし、「自分で考えるだけで人から学ばないのもダメだ」

 

という有名なお話です。

 

これは「学び」の本質です。

 

どこまで習うか。

 

どこから考えるか。

 

頭をよくするためには、その線引きを巧みにする必要があるでしょう。

 

長くなりましたが、読書の方法について、でした。